文化の薫る

講演
ステュウット・ヴァーナム-アットキン「源氏物語」千年紀記念講演 会場:三渓園白雲亭 主催:(財)かながわ国際交流財団 南サークル

翻訳、通訳、ナレーション、そして各種の執筆作業・・・どれを挙げても、BBTの業務は、ほとんどが異文化的な、あるいはバイリンガル的な活動と言えます。例えば、異なる言語のニュアンスにぴったり合う言葉を見つける作業、同じこともあれば、全く異なることもある考え方や行為の発見、物事や事象がどうしてそうなのか、また人々がどうしてそうふるまうのかを探ること。このような活動は、非常にやりがいがあり、かつ刺激的で、ひいては自国の文化の再発見に結びつくことが多々あります。

2014年にジャパンタイムズに掲載されたヴァーナム-アットキンの「百人一首」、「東京グローブ座」、「勧進帳」の記事は下記のウェブサイトでご覧いただけます。

http://www.japantimes.co.jp/life/2012/12/30/life/the-wonderful-worlds-of-100-waka/

http://www.japantimes.co.jp/culture/2013/12/11/stage/tokyos-fayrest-that-ever-was/#.UzOad6V33cM

http://www.japantimes.co.jp/culture/2014/01/08/stage/hop-step-and-thump/#.UzObK6V33cM

アンドロイドを演じて






2018年の夏、NHKドキュメンタリー「人類誕生・未来編」3回シリーズに役者として出演させていただいた。これは、ホモサピエンス(つまり、ヒト)の進化を描いた番組だ。オリジナルのNHKスペシャルでスタジオトークだった部分が英語ドラマに置き換えられ、「ドク」というアンドロイドの老人が少女エヴァに彼女のDNAの歴史について語る未来を舞台にした作品に仕上がった。「ドク」役の私は、ロボットの格好ではなく長髪であごひげを蓄えた老人という設定だが、アンドロイドなので、終にはバッテリーを使い果たしてしまうのである。

猛暑の中の三浦半島で、肩まで届く髪の毛が海からの風で絶えず口の中に入ってしまうロケ。共演者は、母が日本人、父がバングラデシュ人という10歳のチャーミングな少女だった。撮影は同じように暑い東京郊外のコンクリート打ちっぱなしのスタジオでも行なわれた。幸運にも気配りのよいスタッフたちに恵まれ、私は常に日差しを避け、うちわで扇いでもらい、冷たいタオルをいただける恩恵にあずかった。

だが、この番組で私は新たな挑戦に挑むことになった。ドラマ以外のセクション、つまりCGパートに日本語でナレーションを付けることになったのだ。イギリス英語のナレーターとして英語ナレーションには何の不安もないが、これまでに経験したことのない日本語での、それもやや長いナレーションとなると話は別だ。日本語の発音がひどくはないことを願うしかない。幸いにも、収録時、私は「人間」だったので、ナレーションが終わるまでバッテリーが切れるということはなかった。
最後に、番組から学んだことを1つ。それは、日本人のDNAの内2%以上はネアンデルタール人のDNAを引き継いでいる、ということだ。とても興味深い話である。

文学散歩








チョーサー、シェイクスピア、ルイス・キャロル、ビアトリクス・ポター、T. S. エリオットなどの12世紀から20世紀に至る多様な作家たちの作品からの抜粋、2015年夏の英国を巡った1000マイルの文学の旅のシーン、制作に2年の時間をかけた放送大学のテレビ番組「Walking with Writers」が2016年4月に開講しました。この番組は東京オリンピックのある2020年まで繰り返し放送されることになります。

共に講師を務める井口篤先生と私はこれまでにも「実践英語」と「発音をめぐる冒険」の番組でご一緒しましたが、その二つの番組は国内で収録が行われました。しかし今回は、番組のテーマが、著名なイギリスの作家たちの作品と彼らのゆかりの土地を紹介することだったので、英国での撮影もありました。番組構成にあたって、どの作家を、そしてどの作品を取り上げるか、膨大な可能性の中から選択するのは至難の業でした。ウェールズ、スコットランド、アイルランドの作家たちを含めるのはあまりにも領域が広くなってしまうということで、私たちはイングランドに絞ることにしました。とはいえ、作業を進める中で作家の選考は幾度となく変わりました。時代が古いか新しいか、知名度があるかどうか、男性か女性か、などなど数多い作家たちとそのゆかりの土地を巡る選考過程は非常に意義深いもので、私たちにとっては興味の尽きないプロセスになりました。作家や作品を発見、再発見するだけでなく、ひいてはそれまで知らなかった場所を訪れることにもなったからです。

また、当初想定していなかった文化的要素を織り込むこともできました。例えば、詩人のルパート・ブルックで知られるようになったケンブリッジのオーチャードティーガーデンのデッキチェアにて味わうアフタヌーンティー、「プディング」という言葉のさまざまな意味についての論議、埼玉県にある大東文化大学のビアトリクス・ポター資料館の館内ツアー、ローマ時代の衣装を着た女性マネジャーが案内するロクセター・ローマ遺跡、作曲家エドワード・エルガーの足跡をたどった美しい古都ウスター、オックスフォードにある「アラビアのロレンス」の実家、そして私の祖父ハリー・アットキンの第一次大戦時代の未公開日記からの抜粋と1915年に彼が戦場で見つけたドイツ製のラッパなど。

この授業を専攻する放送大学の英語学習者にとって番組が有益であることを、そしてその他の視聴者の方々には制作過程の私たちにそうであったように言わば刺激剤となることを願っています。

東北の復興




2011年3月、BBTは「津波の怖さ 知ってますか?」という政府インターネット (http://nettv.gov-online.go.jp/eng/prg/prg2040.html)の英語版の台本を翻訳、私がナレーションを担当しました。津波の力学について、そして比較的小さな津波でもどれほど甚大な被害をもたらすか、ということを分かりやすく説明したドキュメンタリーです。そこには背筋がぞっとするような2つのポイントがありました。1つは、20~30センチほどの高さの津波でも足をすくわれるということ、もう1つは、津波が陸に到達するときはどんなに速く走る人間よりも速いスピードで動いている、だから津波が近づいてくるのを目にしたら、逃げられるチャンスは極めて低いということです。この番組は3月10日にアップロードされました。そしてあの衝撃的な東日本大震災が起こったのはその翌日だったのです。

その後5年間、BBTは、NHKワールドとNHK BSの二ヶ国語放送の英語版番組の翻訳やナレーションの仕事に関わる機会が数多くありました。2011年には特別番組がいくつかあり、その中に、アメリカ人のジャズピアニストであるボブ・ジェームズを追った「Jazz for Japan」がありました。この番組から、発起人のボブが震災犠牲者を支援するコンサートを取り上げた「Music for TOMORROW」というシリーズ番組が立ち上がり、「Music for TOMORROW」は今日も続いています。(ちなみに、福島で開催された最新のコンサートの模様は、2016年3月に3回のシリーズ番組として放送されました。)

そして、2012年4月から、NHKワールドで「TOMORROW」というシリーズ番組が始まりました。これは、「未曾有の災害を体験した人々が、どのように困難を乗り越え、生活を再建し、よりよい明日に向けて歩もうとしているかを探り、難しい現実を生き抜く知恵や教訓を世界に向けて発信する」をテーマにした番組でした。初年度、レポーターたちにはさまざまな分野で活躍する世界的に有名な人物がいました。歌手のジェーン・バーキンやシンディ・ローパー、ファッションデザイナーのポール・スミス、ピアニストのスタニスラフ・ブーニン、そして映画監督のジョン・ウーなど。続く2013年から2014年は海外からやってきたさまざまなレポーター、そして2014年から2016年は日本在住の外国人がレポーターを務めました。番組数は合計およそ100本、私はその大半の英語ナレーターを務める栄誉にあずかりました。

番組の中には、震災の犠牲者のその後を追ったものもあります。OECD東北スクールは、震災の直接的な被害者である中高生のために、彼らが精神的な傷を克服する支援をし、同時に「独立心をもって行動できるリーダーを育成する」目的で設立されました。TOMORROWでは、パリのエッフェル塔の袂で開催された「東北復幸祭 環in Paris」の大々的なプレゼンテーションに向けて自分たちの地域促進のために準備を重ねる生徒たちをレポートしました。2014年に開催されたこの催しには15万人の参加者が集いました。

この特別番組の取材のため最終準備段階にある生徒たちをレポートする役は、私にとっては極めて貴重な経験でした。まず、東京国際フォーラムで開催されたプレイベントで数人の生徒たちに会ってインタビューを行いました。そこには、高さ26.7メートルのところに風船が浮かんでいました。大船渡を襲った恐るべき津波の高さを表していたのです。

その後、岩手県の港町大槌町にパリに出発する直前のふたりの生徒を尋ねました。大槌町は深刻な津波の被害を受けた町です。廃墟と化したふたりの美しい故郷の姿を目にし、彼らが被った悲劇を耳にし、それでも前に進もうとする力強い意欲に、私は深く心を動かされました。そして「今の生活をもっと真摯に生きること」をメッセージに込めて、ふたりが英語とフランス語で発表するプレゼンのお手伝いをすることになりました。少年は自分の家があった場所に私を連れて行ってくれましたが、そこは雑草が生い茂る空き地になっていました。2011年3月11日のあの日、少年は流されていく家を自分の目で見ていたのです。

また、福島の原発事故のせいで家族が避難を余儀なくされた少女にも会いました。彼女の父親はその時まだ福島第一原子力発電所に勤めていましたが、彼女自身は故郷から遠く離れた会津若松で学校に通っていました。その少女のメッセージは、「だれにも可能性はあります。私は、自分の家族や友人との関係、そして時間を大切にしようと思います。なぜなら、それは、いつ、どう失ってしまうかわからないのですから」でした。

TOMORROWシリーズは、世界のどこであれ起こりうる将来の災害にどう対処するか、その数多くの指標も含め、震災やその後に関連するありとあらゆるテーマを扱いました。レギュラー番組は2016年3月で終了しましたが、東北の人たちの闘いは今なお続いています。そして世界が東北を忘れないことを願っています。しかし今後も、TOMORROWの特別番組が、「Music for TOMORROW」コンサートと同様に、放送される可能性があります。ボブ・ジェームズが番組の中で発言したように、「まだまだやらなくちゃいけないことはたくさんあります」。(敬称略)

京都、ふしぎの宿の物語




NHK BSプレミアムで89分のスペシャル・ドキュメンタリー番組「京都、ふしぎの宿の物語」が初めて放送されたのは2015年3月。それを59分に再編集したリメイク版が2016年3月に放送されました。番組は、今後も不定期に再放送される予定です。またNHKワールドで世界の視聴者に向けて49分版も制作されました。この番組出演がきっかけで、私は、京都の由緒ある旅館「俵屋」を訪れ、その舞台裏を拝見するというきわめてまれな機会に恵まれました。

番組のコンセプトは、さまざまな現代的な要素を取り入れた300年の歴史を持つ一軒の宿が実例で示す伝統的な日本の「おもてなし」に対する考察。「おもてなし」について知りたいことが山ほどある外国人のジャーナリストの役を私が演じ、役者の本木雅弘氏が日本語版のナビゲーターとして登場しました。京都とその旅館の1年間の季節ごとの変化を捉えるため、チームは丸1年をかけて撮影に臨み、その大掛かりな制作の中、私は2014年の5月から2015年の2月までの期間に6回ほど京都へ足を運びました。

この経験から、私は、俵屋など一家庭によって営まれる伝統的な日本旅館と英国テレビドラマ「ダウントン・アビー」に見るようなイギリスの伝統的なカントリーハウス(貴族の田園邸宅)の類似点を考えました。共通点は、非常に上品で洗練されたシステム。すべての運営を取り仕切る家族から、履物係、客室係、洗濯係、大工、料理人、そして庭師に至るまで、全員がそのシステムの中でスムーズに機能しているのです。人々は、驚異的なスピードで、効率的に、そしてプロ意識を持って動いていました。俵屋は、伝統的な日本文化が現代の宿泊客のニーズに完璧に調和した空間でした。

俵屋に実際に宿泊しなくてもその雰囲気を味わいたい向きにお勧めなのが、角を曲がったところにある店とカフェ。「ギャラリー遊形」には、有名な石鹸、タオル、バッグ、ガラス製品など俵屋のデザインによるさまざまな品々が置いてあり、町家を優雅な雰囲気に改装したカフェ「遊形 サロン ド テ」では、俵屋のわらびもちや、待っている間に調理してくれる上等なベーコンアンドエッグのサンドイッチなど、ごちそうを味わうことができます。美味しさあり、リラックス感あり、まさに俵屋そのもののように、伝統的なものと現代的なもの、日本と西洋が混在した京都の真髄がそこにはあります。

オリンピックのプレゼンテーション (敬称略)



1964年東京オリンピックを題材にしたNHKドキュメンタリー3部作(監督:遠藤理史)が、2013年8月に放送されました。2020年のオリンピック招致に向けた日本オリンピック委員会の最終プレゼンテーションが行われる直前に放送されたこの作品で、感動的であるにもかかわらずさほど知られていない歴史的なエピソードが再現されました。それは、1964年五輪の東京招致を成功に導いた1959年IOC総会でのプレゼンテーションにまつわるものです。プレゼンテーションは、元外交官でNHK解説委員だった当時50歳の平沢和重が行いました。

ドラマでは、平沢が実際に行ったスピーチの抜粋が再現されるのですが、このスピーチは彼自身が、心を打たれたいくつかの瞬間に基づいて作成したものでした。

そのプレゼンテーションの20年ほど前に、平沢は、講道館柔道の創始者で、日本人初のIOCメンバーになった偉大な人物、嘉納治五郎と話す機会がありました。嘉納は、戦争のため開催されずに終わった1940年東京オリンピック招致の立役者でした。嘉納は平沢に言います。国際的な相互理解に大切なのは「人々と直接会って心の距離を縮めることだ」と。嘉納は、氷川丸が横浜に到着する2日前に船内にて死去します。平沢は彼の言葉を忘れませんでした。

NHK解説委員として活躍する平沢は、「スピーチには90%の分かり易さと10%の驚きが必要」を持論としていました。1959年のIOC総会で急遽プレゼンテーションを務めることになった彼のスピーチ原稿に、娘が「驚き」の要素のきっかけを与えてくれます。彼女は小学校の国語の教科書で暗唱させられたオリンピックに関する文章を覚えていたのです。平沢はひらめきました。この教科書を使おう!

また平沢は、「日本は、欧米から見れば極東だ」と言った嘉納の言葉も忘れていませんでした。この「極東」という言葉はスピーチの中で決定的な要素になります。

平沢和重役の相島一之さんや東京都知事役の久保酎吉さんの英語指導を務めさせていただいたのは光栄なことでした。私たちは、英語の発音だけにとどまらず、どうプレゼンテーションしたのだろうかということを話し合いました。実際に自身が用意した言葉を、平沢はどのように話したのか?1時間の持ち時間に対し、わずか15分の英語スピーチをどのようにして興味深く、説得力のある効果的なスピーチに仕立て上げたのか?それも、プレゼンテーションで人々を魅了したスティーブ・ジョブズ氏のスタイルが一般的になるはるか以前のローテク時代に。

ロケーションは国立市の一橋大学構内の1930年代に建てられた趣のある兼松講堂と、横浜の山下公園に係留されている氷川丸の船上で行われました。

DISCOVER the SPIRIT of JAPAN




2012年の初夏から2013年の春までおよそ1年間、私は、国土交通省観光庁の主催による『「普遍的な日本の魅力」の再構築・発信に関する検討会』に招かれ、委員を務めました。海外から年間1,000万人の観光客を誘致する目的で、2013年から始まった新たなキャンペーン。従来の販促活動は積極的でしたが、その基本になったのは、主として日本人が考えた「外国人に最もアピールする日本の魅力」でした。

今回の委員会には、中国、韓国、ヨーロッパを含む7カ国の外国人が参加しました。日本を訪れる観光客のニーズや関心事についてはそれなりに知識の豊富な委員たちばかり。そして日本人参加者は海外経験の豊富な委員たち。会議では、何がより多くの観光客を日本に呼び寄せるか、という点について率直な意見交換がありました。

ある種の「普遍的な魅力」を見つけるのは極めて困難だというのが、大筋の合意でした。それでも、委員たち全員、確立された観光名所は別にして、日本の食べ物、手頃な価格、そして何よりも日本人そのものが、どの国籍の観光客にとっても魅力的なものだという気がしていました。キャンペーンは、日本人の活力、創造性、そしておもてなしの心、またさまざまな日本の日常体験を楽しむ機会に焦点をあてるべきだという結論に達しました。体験できることは多岐にわたります。居酒屋、地下鉄、パチンコ、デパートの食料品売り場での試食、自動販売機、他にも参加型として、忍者のまねごと、侍や芸者や動物のキャラクターなどのコスプレ、人力車に乗る、そのほか日本以外の場所では容易に体験できない楽しい遊びなど。

活発な意見交換の結果生まれたのは、踊りだしたくなるようなリズムの阿波踊りをフィーチャーした刺激的なメインビデオ、新たなテーマと地域別のさまざまなビデオ、そして素晴らしいガイドブックなどの印刷物。また、販促用メッセージは、Discover the Spirit of Japan に決まりました。このメッセージには、創造心、おもてなし精神、活力、そして言うまでもなく「がんばる」気持ちが込められています。

そして去る3月に、埼玉県春日部市にある、それ自体が観光名所であるユニークな地下施設の「首都圏外郭放水路」にて、日本政府観光局との連携で開催された「日本の魅力発信イベント」にも参加させていただきました。

観光庁の「ビジット・ジャパン」webサイトでは国内のさまざまな景色や文化を紹介した映像を見られます。またあらゆる旅の情報も掲載されています。


www.visitjapan.jp

後記:訪日外国人観光客1,000万人の目標は2013年に達せられ、その数は今や3,000万人になろうとしています!

宮澤賢治作「注文の多いレストラン」

友人宅(滋賀県五個荘町)の
ディジェリドゥ

宮澤賢治の作品は「とよざきようこ」との共訳が既にいくつかあったので、語りのプロである児玉朗氏と私、ヴァーナム-アットキンが行う神田外語大学のワークショップ「声のことばの勉強会」の教材に使用する「注文の多いレストラン」の英語版作成は、喜んで引き受けました。

この勉強会のグループが、2010年6月20日、博品館劇場で、この「注文の多いレストラン」のバイリンガル朗読を行いました。

児玉氏はバイリンガルやマルチリンガルの実験的リサイタルに熱心な方で、私たちはかつて宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」や「よだかの星」のバイリンガル朗読を、また2008年には「源氏物語」の一部を9ヶ国語で朗読するというユニークな試みを行ったことがあります。

今回は英語を母国語とする朗読者は私を含め二人で、猟師の台詞を担当しました。日本人の朗読者たちは猫の声や「注文内容」を英語と日本語の二ヶ国語で朗読しました。

同じ題材を二ヶ国語以上の言語で聞くのは興味深いことです。

会場は満席でしたが、私たちのパフォーマンスが、観客の方々の好奇心を多少なりとも刺激したようであれば嬉しく思います。

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